記憶と信頼
人は、幸せな記憶よりも辛い記憶を覚えています。
悲しい記憶、苦しい記憶を、人はずっと覚えているものです。
相手を信頼していればいるほど、甘えていればいるほどに、
他人にとっては小さなことでも自分にとってはとても大きなことを、ちゃんと記憶しています。
それはふとした時に蘇ってきて、どんなに相手が悪い人ではないと知っていても考えてしまうものです。
喧嘩をするほど仲がいいという言葉がありますが、
喧嘩をした時にどれほどの本音をぶつけられているでしょうか?
ただ感情任せに怒鳴ることと本音を言うことは違います。
ぶつけ合ったところで反抗している感情のままでは、相手の悪いところ、おかしいところばかりに目を向けて自分のことなんて一切考えていません。
仲直りが美徳ととられがちですが、その謝罪は口先だけのものになっていませんか?
謝る前に一度よく考えてみてください。
相手は自分のどこが嫌だと言っていましたか?
なにをされて、怒っていましたか?
相手のことを100%理解することはできません。
けれどずっと仲良くしたい、そばにいて欲しい、離れたくないと思う人にとって嫌なことを直すことはできるのです。
逆も同じです。
どちらか一方が歩み寄ってもなにも解決はしません。
お互いに、歩み寄れることが大事なのです。
俺にはわからないで終わらせたらそれまでです。
どんなに根気よく、一緒にいるために怒っても、注意しても治らない場合はそれまでです。
失ってから後悔する、人の典型的な絶望が待っているだけです。
なにを言っても、何をしても、どんなにがんばっても変わらない人はいます。
それだけで大切な人を苦しめていることに気づいて欲しいものですね…。
気がつけば何もなくなってる現実に直面することが嫌なら、
わからないと言う前に、相手が自分の何を嫌がっていたのか、何に対して怒っていたのか考えましょう。
そしてそれを直しましょう。
何を言われても、何をされても、結局自分を変えられるのは自分だけなのです。
小説の一節なんかでは、あなたがいたから変われたという言葉がありますが、
そうじゃありません。
あなたといたいから、あなたに呆れられたくないから変わったんです。
自分の意思次第で人は変われるのです。
わざわざ信頼を失って、大切な人を大切にできないまま、ただの自己満足で相手のことを好きだなんだとのたうちまわるのはエゴです。
気付いてください。
直してください。
失ってからでは遅いのです。
自分にとって大切な人なんてものは数える程度だと思います。
その大切な人を、大切にする方法を模索してますか?実行してますか?
それだけで人間は強くも弱くもなれます。
幸せにも不幸にもなれます。
自分次第です。
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